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特養日記 華さんの一言【2010.03】

特別養護老人ホーム 板垣 由紀子
 

 昼下がり、コーヒータイムにふと華さん(仮名)がつぶやいた「学校やんたな〜。」
  この言葉がビ〜ンと私に響いた。
 華さんがはっきり言っている訳ではないが、私には、「今の特養を学校のような堅苦しいところにしてほしくない」と言っているように聞こえた。
 学校のように問題を起こさないため管理し整然として堅苦しい空気。そうした空気を作る片棒を自分が担いでるとしたら・・・とゾッとする。
 確かにまだ特養は立ち上げ途中で、里にはなっていない。そこにいると自分が余裕を失い、遊びをなくしてしまう。暮らしや生活の潤いや豊かさは創り出せないまま、規則と日課にとらわれ無駄もゆるされないような脅迫観念が働いて、楽しみながら過ごすことができない。
 それでも私は勤務を終えて帰ることができるが、入居者は帰ることができないと考えると辛くなる。自分が居て楽しい空間でなければ、利用者だって楽しくはないだろう。ゆったりと構えてじっくりと自分らしく向き合いたいのにそれができない。華さんのこの言葉は、このところ苦しかった私にくれた『宝』の一言だった。思わず私は「学校で不良しよう。」と隣にいたスタッフのほなみさんに伝えた。
 こうした華さんの言葉も、みんなでテーブルを囲んで過ごす時間のなかで出てきた言葉だったと思う。何もしないで、ただそこにいる。そんな時間が人を豊かにし、そこでこそ相手も自分もお互いを見つめることができるのではないかと思う。12月の通信で寛恵さんのコーナーに紹介された映画「めがね」を見た。『黄昏れる』という言葉がキーワードなのだが、黄昏れるには、どうやら素質がいるらしい。私が好きなシーンは、春子さんが、キッチンに立って、小豆を煮るシーンだ。春子さんは鍋の前にじっーと立っていて、鍋の小豆はふつふつと音を立てている。一時も目を(耳も五感全部)そらすことなく、神経をそこに集中させる春子さん。そして時が来て「はい、今。」と火を止める。何もしない時間は五感を研ぎ澄まして待つ時間でもある。
 ある時、特養のツキ子さん(仮名)が「綺麗な、真っ直ぐな器量を持って・・・。」と話し始めたので耳を傾けた。「大きな海原に生きてください。・・・・若い人たちの生活ひきずっていくのはあなた方、読み直して、生活を大きく暮らすようにした方がいい。あとは何も言うことはない、あなた方が、煮るなり食うなりして・・・・とにかく垣根を取っ払って、あなた達の生活。みんな大きくなって下さい。」としばらく沈黙。何か大事なことを言われているように感じていると、「料理と同じもんでねがな〜。」と言った。その言葉と「めがね」の小豆を煮るワンシーンが重なった。
 「そうだよねそう言うことだよね」と感じながら、みんなで黄昏れたいと思ったのだった。
 

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