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音楽祭:解きはなされる私【2009.11】

デイサービス 板垣 由紀子
 

 荒井皆子さんのJAZZコンサートは昨年に続き2回目だ。去年は初めて聞くフーリージャズにどう入ったらいいのかと戸惑いがあった。今年は荒井さん主催の絵夢茶FANTASYというバンド、ポスターを見ても実に濃いメンバー。どのようなコンサートになるのか、私はどう感じることができるのか不安と期待が入り交じっていた。
 今年は職員にもできるだけ聞いてもらいたいと、夜昼2回の公演の上に特養でのミニコンサートまで開いていただいた、メンバーのこうしたフットワークのよさにも驚いた。
 私は勤務の都合で、昼の部は新人スタッフに譲り、特養のコンサートは送迎に当たっていたので、聴くことが出来ず、夜の部に勤務を終えて参加した。どこに座ろうか、迷っていると、昼の部を見たスタッフが、「絶対前がお勧め。」という。演奏中にグランドピアノが走ったとか、ピアノが壊れて、調律士を呼んだとか、興奮した様子で伝えてくれた。後ろのほうで全体の雰囲気を味わおうかとも思っていたのだが、その迫力を味わおうと前の席を探した。ちょうど一番前の中央の席が空いていたのでそこに陣取った。
 いよいよ開演。バンドメンバーがニコニコと入ってくる。わくわくした感じに包まれる。荒井さんが「コンテンポラリーJAZZの楽しみかた・・・」と話し始めた。「決まり事はなく、自由で、間違ってもいい、無茶でも、メチャクチャでも許される。ただ一つ約束事は、会話が成り立っていること。会話するつもりで聴いてみて下さい、楽しめると思います。」これは面白い、銀河の里の現場と通じるものがあると直感した。
 演奏が始まる。とにかく圧巻。グランドピアノが踊る。鍵盤の上を何本もの手が(実際は2本の手なのだが)、物凄いスピードで駆けめぐる。ベースとの掛け合い、やり取り、ピアノの独奏にニヤリとするベース。鍵盤の上を自由自在に駆けめぐる指(わぁ〜)と音と共に感情が揺さぶられる。パーカッションは次々といろんなものが楽器として登場する、「ドラえもんのポケット」と荒井さんが紹介した箱の中から、絶妙な音を重ねてくる。そして私を捕まえたのは、そのパーカッションの暴走(私には暴走に見えた。)だった。その音はどんどん激しく、強くなって、とどまることを知らない。その暴走が私には心地よかった。何か囚われていたものから解放されていく気分だった。パーカッションの暴走中(ソロ演奏中)、ピアノも、ベースもボーカルも止まる。マニュアルや管理、操作の世間などいろんなものと格闘しながらもがいているであろう自分の心が(普段自覚はないがこうした瞬間に気がつく)、パーカッションと共に叫び解放され、その瞬間に私はパーカッションと一体になる。
 この解放感は、パーカッション以外の周りのメンバーに支えられて与えられたはずだ。ピアノのダイローさんは全身で、パーカッションの奏でるリズムにのりながら、入る時を狙っている、指を鍵盤の上に置いてはとどまり、また置く。ついにはピアノではなく叫びで参加した瞬間はもう涙が出そうになった。物凄いコミュニケーション。そのやり取りをそっと包むように見守るボーカルの荒井さん。冷静に全体を捉えるベースの加藤さんはやや呆れ顔で微笑んでいる。3人のその素な感じ、個性が場を形成していく。そしてソロからパーカッションが戻ってくると、他のメンバーもそれぞれの楽器で語り始める。そして音楽が広がりを見せる。
 何だろう。これって、私たちが現場でやっている根本にあるものと全く同じだ。かつて新人の私が銀河の里のグループホームで育てられたのは、まさに守りと支えの器のなかで、利用者とスタッフのひとりひとりの爆発する個性との深いコミュニケーションを保証されるという恵まれた環境があったのだと気がつく。他者への深い関心と絶妙の距離、個性の尊重と対決、そうした深い関係性がチームの中核にないと創造的な仕事にはならない。
 終演後、ピアノのダイローさんに掛け合いの感想を伝えると「入るところを間違えたら台無しだから」との一言に真剣勝負を感じた。我々の現場でも、関係に入ろうともしない姿勢ではなにも生まれないが、入るところを間違えると相手も傷つけ全体も壊してしまうのは全く同じだ。「チーム」や「場」のあり方を深く考えさせられた音楽祭だった。
 


いよいよ始まったジャズライブ

 

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