ここしばらく、私はとにかく周りに「怒り」でしか自分を表現できずにいた。不安や淋しさ劣等感が怒りに変わり、突き放すような言葉・態度でしか利用者と関われない日々が続き、そんな自分自身が許せなくて苦しかった。
ある日、そんな私を変えてくれるできごとがあった。武雄さん(仮名)がいつもお世話になっているお礼にと飲み物を買ってくれたのがきっかけで焼き肉パーティが行われることになった。職員も盛り上がり、利用者もいつも以上に食が進む。そんな中テラスにいたフクさん(仮名)だけは飲み物にも食べ物にもなかなか手をつけなかった。この企画のきっかけが武雄さんだということをわかっているかのようにも思えた。私は、そんなフクさんのことが気になりつつも近よって語りかける勇気はなかった。自分に何ができるのかまるで解らなかったからだ。片付けをしながらずっと気になっていた。
片付けが一段落し、ふとテラスに目をやると、フクさんが1人になっていた。いつもの声は出さず、1人で静かな時間を過ごしているようにみえた。私はその姿を見て邪魔してはいけないとは思いながらもフクさんの隣に行かずにはいられなかった。テラスに出て声をかけると、手を差し伸べて私の手を握り、なんともいえない悲しげな表情で私の目をじっと見つめる。何かを伝えたいかのような…訴えているかのような…その悲しい目を見ているうちに、私はいつの間にか泣いていた。まるで、フクさんの代わりに泣いているかのように…。次から次へ涙が溢れてくる。
そのうちフクさんが何を考え何を言いたいのか知りたくても解らず、ただ手を握っていることしかできない時間が次第に辛くなり、私はその場を逃げ出してしまった。ただただ辛く感じたがその反面、救われた部分もあった。普段とは違う表情を見せてくれたのがきっかけで、私に泣く機会を与えてくれたからかもしれない。今まで私は泣くことを避ける代わりに怒りが出ていたように思う。この時、泣いたことを境に不安や淋しさを素直に表現できるようになったような気がする。実際、利用者から不安や淋しさをぶつけられた時にも突き放すような言動ではなく、その気持ちを受け止めながら話せるようになった。自分も同じなんだということを恥ずかしく思ったり、否定しなくていいと思えるようになった。
私は途中で逃げ出したのだが、その時、フクさんの苦しみだけでなく底知れぬ強さに触れていたのかもしれない。このとき、フクさんが私の利用者との関わりを転換する機会を与えてくれたことは間違いない。
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