寝たきり寸前、ぎりぎりの攻防 その3
ある日、私が「ショートステイ北斗」に行くと玄関で一服している康さん(仮名)がいて、唐突に語りかけられた。「あのさ、俺、旅してこようかと思って、新幹線で、東京まで行って、一泊して、戻ってこようかと思って。」
何?東京まで連れてけってことじゃないよね?といぶかしがって私は聞き返す。「誰かと一緒にいくの?」「1人で、ここからタクシーに乗ってさ、新幹線で東京までいって、一泊して、次の日の夕方には戻れるでしょ。」
「?戻るって?」:「ここに」
「何しに行くの?」:「試してみたいんだよね。」
「今?お金は?」:「いつかさあ〜」
私はあまりの突然の話に驚き、現実で問いただしていた。
事務所でスタッフにその内容を伝える。「ひとり旅ですか。東京か。ここは帰ってくるところになっているんだ。」「新幹線に乗れるかな?どこに泊まるんだろう?」「自分を試してみたいか。」と一同で驚いた。
数日後、「デイサービスにピアノ弾きに行くから。」と私の携帯に電話が入る。デイホールで昼食前までピアノを弾いてすごす。帰りは車いすではなく杖を使ってしっかり歩いている。2週間前「このままでは寝たきりになってしまう。」と危機を感じた姿とは全く違う、蘇った人がそこにいた。
「旅に出る。」「試してみたいんだ。」の言葉に私は思いをめぐらす。旅はプロのピアニストとしてやってきた彼の生き方そのものではないのか。施設での暮らしは環境的には、快適でいたれりつくせりだが、本人の望んでいるイメージは、自由な流浪の旅人(?)として、誰からも干渉されずにわがままな1人旅の途上にいたいのかもしれない。
立ち上がるどころか、寝返りも打てず、寝たきりに近い状態から、ショートステイに入って2週間、今やしゃんしゃんと歩き、デイにピアノを弾きに出かける姿を見ながら、「やりたいように生きたらいいんだ、がんばって」と応援したくなった。
そしてショートステイの期限も近づいてきた。市役所に平屋の件を再度問い合わせると、洋式の水洗トイレに改装した住居に入れるとのことだった。早速、生活保護課、建設課の担当と下見に出かける。その後再度、本人と見学して入居が決まった。引っ越しの見積もりを取り、必要な手続きを代行する。引っ越しには、彼の友人が一緒に立ち会ってくれることになった。一人暮らしに戻るに当たって、本人を支えるつながりもあって安心した。引っ越しの挨拶まわりをしていたら、近所の方が、「何かあったらいつでも声かけて、鍵は開けといて、時々覗きに行くから。何でも食べれるの?」と、声をかけてくれた。昔ながらの長屋の感覚のある地域でよかった。
現在、彼は、新居で一人暮らしを再開し、杖なしで歩き「ピアノを弾く」という名目で、デイサービス、ショートステイにピアニストらしいおしゃれをして通って来ている。
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