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混沌のなかで − 農業班としての模索【2009.05】

ワークステージ 佐々木 哲哉
 

 ワークステージ畑班に配属されて、あっという間に一ヶ月以上経過した 。


 はじめて接する利用者のみんな、はじめて触れる里の農業、土。一応肩書きは「職業指導員」などとカッコいい名称が付いているが、米作りは前職で多少の経験はあるものの補助作業中心であったし、畑に関しては採算や収量にとらわれない実験的な趣味の自給自足、素人に毛が生えた程度のものである。そして福祉も仕事としては全くの素人である。そんななか、これまでとは違い自分がどう動くかというより、利用者のみんなにどうやって作業を振り分け働いてもらうかを考えて指示する立場となり、あれこれと悩みながら結構なエネルギーを使っている。畑班は季節・天候・作物それぞれに応じて臨機応変に作業をこなさなければならず、同じ作業が続くことはせいぜい一週間ぐらいだろうか、いや厳密に言えば同じ場所で同じ条件の作業など一つとしてない。少しでも工賃に還元できる収益を上げるための作業性の向上、効率化やスピード感も大切だが、それだけではなくときには逆に、個性全開のみんなのそれぞれの能力や得手不得手、対人関係を知ったうえでよい物づくりができるよう、利用者それぞれとじっくり向き合う時間も大切になってくる‥‥それは畑や作物においても、育てたい作物がそこの土質や日当たりなど様々な条件に合うかどうかを知ることと同様であって、まずは知ることが何よりも大事だと思っている。


 一方で、年間自殺者3万人を越え、日々親が子を、子が親を、あるいは無差別に不特定多数の人々を殺傷する事件が日常化しつつある昨今、何が「健常」で何が「障害」だかよく分からず、むしろより混沌としたものになりつつある。いっそ知識や先入観など持たず、分からないなりに対等に、ありのままに接する。いまは、いやもしかしたらずっとそれでいいのかもしれない、とも思っている。銀河の里には、人との関係性において、ときに対立や衝突をしつつ利用者や家族、行政と向き合い、乗り越えてきたこれまでの蓄積が多分にあると思う。けれど農業の部分では、シビアだった前職から比べるとまだまだ改善すべき点が多々あると思っている。既存の農業や農家ですら生業として厳しいなか、大消費地から遠く、智恵や技術の継承から寸断され、まだまだ素人であり決して器用とはいえない 我々が農業に挑戦することは生半可なことではない。が、作る作物や加工品を特化して、同情ではなく正当に品質を評価されて成功した施設もある。利用者と向き合うことと同様に、作物や、それを取り巻く自然、作業に欠くことのできない機械にも一定の性能を維持し長く使用できるよう、それぞれに向き合っていかなければならないと思う。


 そしてなにより、本質的に「農」は“暮らし”であり、人間の生きる根源的なものであるはずだ。それがなければ、市場経済に飲み込まれ田畑は荒れ、伝統芸能や“結”といった助け合いの精神で繋がってきた人間関係も希薄になり崩れていく農村と同じく、銀河の里は“里”でなくなってしまう。


 作物も温室育ち・多肥料と甘やかして育てれば、天候や病害虫の影響を受けやすくなる。利用者も、作物も、土も、我々が作り育てて守っているなどと勘違いしてはならず、自ずから育とうとする力をそっと手伝ったり応援することが最も共通した大切なことではないかと思っている。それぞれに向き合い寄り添うことで豊かな稔りを得られるよう、試行錯誤しながら努力していきたい。


 「土の面倒をちゃんと見るということは、その肥沃度を維持するとか、その生産物を守るとかだけにあるのではない。目に訴える美の形、五感を喜ばせる魅力も我々が守るべきものである‥‥。どんな景観でも、ひとりの一日の仕事のなかで最も美しく表現されることのほうが、多くの富をつくるより望ましいこと‥‥。農民は、景観がその農業の一部となるまでは、自分と自分を取り巻くいっさいを完全に自分のものにしたことにはならない」
リバティ・ハイド・ベイリー 「聖なる大地」より
 


一丸となって米の種まき



ハウスで苗の発芽を待つ


おつかれまさ〜!!!



ウッドボイラー用の薪集め

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