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1年の歩み【2009.03】

ワークステージ 高橋 健
 

 この1年間、銀河の里で農業と福祉の現場に身を置いた。高齢者の方々やワークステージの利用者の皆や先輩スタッフから、また農業そのものに鍛えられたと思う。この1年は自分自身の生き方を問い続けられた。他者と向き合うとはどういうことか。自分自身と闘うのか、逃げるのか。これまでごまかし続けてきただけではないのかと、自分が心底嫌になる時や、嫌になる気持ちさえごまかしていることもあった。対人間の仕事は本来ハウツーは通用しないはずだ。(不思議な事に書店に行くと、そういった類いの本で溢れ返っているが)それぞれ異なった状況の中で、具体的な個人との関わりを求められるので、答えはどこにもない。その一瞬、一瞬、全存在を賭けて臨むしかない。幼い頃から学校社会で身についた正解さえ導けば、後は考えなくても万事OKというルールは通用しない。そこには自分の生き方が問われる。それは辛く苦しい事だが、そういった葛藤と闘うこと、逃げないで向き合うことでしか人間としての成長はないと自戒をこめて思う。
 農業は、計画や作業の段取りが大事だと実践のなかで感じたが、天候に左右されるために常に変更を迫られ、とにかく作物と自分が繋がり続ける必要がある。その年によって状況が変化するために、農業にも正解は存在しない。「農業には日曜日はねぇぞ」との理事長が言っていたのを冗談半分に聞いていたが、いざ農繁期、休みの日にハウスに行ってみるとトマトの苗がヘナヘナになっていて、今にも枯れそうな姿を見た時は、自分が試されている感じがして、自分の都合ではなく、水をやった。
 農作物を食べて誰もが生きているのだが、それを育てるのは、こんなにも労力と手間暇かかるものなのかと驚いた。それなのに、農業に対する尊重や尊敬の念は市民レベルでも国家レベルでも消滅してしまっている。それでいいのか。我々の田んぼや畑の周囲でも働いているのは腰の曲がったお年寄りがほとんどで、若者の姿はまず見ない。本来なら、体力的にハードな農作業は若者達が中心になって担うべきではないか。そして経験豊富なお年寄りは傍で見守り、その存在感でだけで安心して作業をさせる関係が自然ではないか。
  農業の大変さを身にしみて痛感していた昨年秋、母校の大学の読書会に参加した。テーマは「国家について」で、国家という観念の起源について語りあっていたのだが、聞いているうちに、だんだん苛立ってきて「国家を語る前に国家の成り立ちの基礎である稲刈りをやってから話したらいいんじゃないか」と毒づいてしまった。
 テレビがまだ普及していなかった50年前と比べると圧倒的な物質的な豊かさを獲得した我々の社会だが、心は豊かなのかというとむしろ危機に瀕している現状がある。さらにここに来て経済不況や様々な格差のなかで、介護心中や介護殺人が増え続けているし、自殺者は毎年3万人を超えている。不登校、引きこもり、パラサイトシングルなども話題になって久しい。地方は雇用も危機的な状況で若者は都会に流れて行ってしまう。少子高齢化や集落崩壊や消失は急速に進んでいる。日本の田舎はどうなってしまうのだろうか。「どげんかせんといかん」と誠実に叫ぶ危機感と責任感を持った大人が今こそ必要とされる。
 都会に出た同窓生に比べれば、給与の低い分、それを超えた何 か大事なことを学んだ濃密な1年だった。これからも田んぼや畑の真ん中から社会や世界を見つめ、自分を磨いていきたい。


 

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