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里のアートシーン2【2008.12】

宮澤 健
 

 話のついでに英哲をしばらく語る。
 英哲は56歳だ。見た目は年相応に見えるのだが、その太鼓をたたくときの迫力は年齢を超越している。筋力や持久力は2若手の直弟子たちの方があるだろうが、そういうパワーとは別次元の何かを持っている。体力の衰えが顕著になるこのくらいの歳から、渋みや味がでてきるのがホンモノということだろう。この年齢は一気にみすぼらしくなり、若者から毛嫌いされるような男と、人間の魅力と言うものを思い知らせてくれる男との分かれ目の時期なのかもしれない。
 英哲は背は高くないので、実際対面すると小さいのに驚く。その驚きは、太鼓をたたくステージでの巨大な存在の対比としての驚きなのだが、小さいものが巨大なものに挑み、迫力に満ちた壮大な世界を演出するというのは、いかにも和の神髄に透徹した構成ではないか。かくありたいと思う理想の一形態としてあこがれる。
 英哲の直弟子の太鼓集団があり、20代から30代の若手が、太鼓打ちのプロとして活躍している。彼らのステージも聴きに行ったことがあるが、このときは私は全曲通じて熟睡した。ステージが始まったとたんに、これは眠れると直感したので、思い切り眠りに没頭した。大音響と弩級の低音の中での眠りは実に心地よかった。太鼓の音は胎内で響く母親の心音に通じると言われるだけあって、安らかな眠りも太鼓の本質ではないかと思う。
 ところが英哲は眠らせてはくれない。あくまでこちらを祈りの世界に誘い続けるかのように響く。英哲の太鼓が別格なのはそこだ。英哲が作り出してきた芸術には、福祉現場の我々にも学ぶべきものが大きいと感じ、講演のDVDを里の研修で鑑賞したり、生のステージにふれる機会をつくってきた。
 国立劇場での千響3部昨は空海千響、天地千響、人智千響と銘打たれ3年続いた。どの会もそうだが、特に最後の人知千響では、英哲カラーは意識して押さえたように感じた。地方や素人の活動や新たな取り組み、他の楽器や芸術とのコラボレーションなどを多く紹介する趣をとっていた。文化というものはそういうところから根付き、生まれ育つのだということを意識させられる構成を取ったように私には感じられた。
 ただ、4時間にも及ぶステージの最後に、これが英哲だと言わんばかりの演出があった。世界最大規模の巨大太鼓を9基並べて、国立劇場の回り舞台で登場させたのは圧巻だった。それが一斉に打ち鳴らされ、咆吼する全曲15分の大曲に会場は大いに酔いしれたのだった。
 太鼓は音楽としての音だけでなく、パフォーマンス性が強い。体の動きも見せ場となる。楽器はどれもが人間の体との調和といえるのだが、太鼓にはダンスの要素すら入ってくるほど体の動きが重要だ。
 頭や口先が突出して、何でも書類だけで完結してしまおうとする時代になってしまって、身体がかなりの疎外感に苛まれている時代である。周囲を見渡しても体と、頭と、心の分離に苦しむ若者の姿は甚だしいものがある。その現代のまっただ中で、英哲やその弟子の若者たちの取り組み、また佐比内金山太鼓の活動もこの時代を生きる若者たちにとって大きな意味を持った、貴重な活動だと思う。
 身体に関しては現場でもかなり重要になるので、意識し続けて来たが、そんな折、その身体をかなり重視し、身体から歌を生み出そうとしているジャズボーカリストとの出会いがあった。今回の銀河の里音楽祭に、メインとしてその方をお呼びしたのだが、次回はその成り行きを語りたい。
 

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