トップページ > あまのがわ通信 > 感じること


感じること【2008.11】

デイサービス 中屋 なつき
 

 先日、近くの紅葉した山道をドライブしてきた。
 一年のうちの、ほんの一瞬、精一杯の色彩を披露してくれる山。この時期だけ楽しめる色を味わった。デイサービスの利用者さん達と日頃口ずさむ歌など思いだし、「真っ赤だな〜」や「秋の夕日に〜照る山もみじ〜」など口ずさみながら走る。童謡や唱歌は、単純な言葉、簡潔な表現で、本当にその通り、的確に、しかも情緒たっぷりに、「そのモノ」の本質を見事に言い得ていると改めて感じながら。


 道中、油絵を描いていた高校時代の感覚が蘇る。絵の具を組み合わせて、微妙な色合いを作り出すのが楽しくて仕方がなかった。赤みがかった黄色、黄緑とも言えそうな黄色、白に限りなく近い黄色…などなど。ゴッホの黄色が身震いするほど好きだった。色って、ココからココまでが何色って言い切れない。面白い。
 色への興味は、自然を目にしたとき、私を愕然とさせる。それこそ自然の中には無数に、無限に「色」が存在している。あぁ、自然はこんなにも豊かで鮮やかな色彩でもってそこに在る。数々の才能ある画家が競って美しい色を作りだそうと、何百年、何千年、なんぼ頑張っても、かなわない。神業的にすでにそこに在る色。
 なぁんだ、わざわざ絵なんか描かなくったって、世界はこんなに美しいじゃんかと絵を描くことを投げ出しそうになる。でも、自然はただそこに在るだけ、誰かがそれを発見し、美しいと感じる人間の心が在って初めて、この色彩が美しくそこに存在できるんじゃない?そう気付いて、やっぱり表現しようと思い直した。自然の中にすでに在る色、それ以上のモノは作り出せないけれど、そうじゃない、もっと何か違ったモノが、人には産み出せるはずだ。人間として感じることをずっとやめたくない、と思った。


 大学時代、「野草の会」なるサークルの友達に誘われて山登りに行った。登山は好きで、子供の頃から岩手山など連れて行ってくれた親や叔父叔母には感謝している。街にいては感じられない独特な空気感が、子供心に魅力を伝えてくれたんだろうと思う。
 道々、その山でしか見ることのできない高山植物などに出会えることも、登山のひとつの楽しみだ。名前も種類も全く解らないが、「わぁ、かわいい」などと口に出して歩く。すると、さすが「野草の会」の人たちは「それは○○科の○○草と言ってね、何月のいついつしか咲かない貴重な何々で…」と詳しい解説してくれる。ほぉ、そうですか。初めのうちは「ふ〜ん、そうか」と耳を傾けていた。しかし、なんだか説明しすぎ?そして明らかにしすぎるのはもったいないと感じ始める。きれいだね、かわいいね、と感じている私の気持ちには注目してくれない。共感、気持ちの共有が抜け落ちる。そんなだったら、名前なんか知らなくてもいいや、この花がココに咲いていて、通りすがった私と偶然にも出会った、その事そのモノを味わうだけで充分。「わぁ、かわいいね」「そうだね」「ホントにかわいい花だね」のやりとりで充分なのに。
 当時も今も、直感・感覚型に偏った私としては、分析して明らかにする興味の方向は良いけれど、同時に、そのモノの本質も味わえる余裕も忘れてほしくはないなと感じたエピソードだ。分析的科学的思考で物事を見つめて尚、何も知らなかった頃に感じた感動を忘れずにいられたなら、もっと豊かに物事を感じられるかもという期待はあるけれど。
 山道を走りながら見える、色々な木、葉っぱの形も、ホントに様々。星みたいだったり、見事に真ん丸なのもあるし、三角、細長いのも、猫の顔みたいな形まで。こんなにいろいろで、いやぁ、まったく、みんなしてちゃんと自分を主張しているなぁ…と感心する。木ってすごいね、デザイナーだ、いろんな形を知っている。そして、花を咲かせたり紅葉したりする時期をよくも間違えないで、毎年そこに立っているもんだ。生物学的に仕組みがあるんだろうけれど(生物とかの授業で習った記憶がなんとなくある)、ちょっと調べてみるのも楽しそうだなぁ…などと思いつつ紅葉の中を走りながら秋の贅沢なひとときをすごしたのだった。


 

あまのがわ通信一覧に戻る

このページの上部へ


〒025-0013 岩手県花巻市幸田4−116−1
TEL:0198-32-1788 FAX:0198-32-1757
HP:http://www.ginganosato.com/
E-mail:l: