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里のアートシーン1【2008.11】

宮澤 健
 

 「銀河の里」にもついにアートシーンがやってきた。里の音楽祭が11月3日に開催された。今年から収穫祭を音楽祭とタイトルを変えて臨んだのだが、これまで7年間、必ず晴れてきたはずなのに、みごとな雨模様となってしまった。アートの道は険しいようだ。
 すでに恒例となった花巻中学校のブラスバンド部による演奏を皮切りに、続いて佐比内金山太鼓と雨にひるむことのない堂々たる演奏で、昼前には雨を蹴散らしそれぞれの撤収には雨は影響しなかった。
 佐比内金山太鼓のきっかけは、昨年の盛岡のイシガキロックフェスティバル。ロックのフェスに和太鼓が登場しただけで度肝を抜いただろうに、和太鼓の野外での圧倒的な音響の優位さを見せつけたのだからたまらない。折から集まっていた現代ロックファンのお姉ちゃんたちのおなかに、その超弩級の低音が轟いてしびれさせてしまったのだ。
 その金山太鼓が、この夏、里の隣にある八雲神社の祭りにやってきた。このとき里のスタッフも、大勢が利用者とともに金山太鼓に酔いしれて帰ってきた。
 和太鼓を音楽として演奏し鑑賞する動きは近年急速に進んできている。その広がりは日本を超えて諸外国での人気が高いという。その急先鋒はなんと言っても林英哲で、カーネギーホールでのオーケストラとの共演をはじめ、彼の活躍によるところが大きい。銀河の里ではこの3年間、有志がツアーを組んで林英哲のコンサートに毎年出かけている。だいたいが日帰りの強行軍で、感動に打ちのめされながらヘロヘロになって帰ってくるのが常だ。特に国立劇場での千響シリーズは3部作すべて聞き逃すことなく出かけた。
 英哲の太鼓はかなり別格だ。聴きながらそれは祈りそのものだと感じたことがある。外へ表現するパフォーマンスとは全くちがう。内へ籠もり、中にに入っていく祈り。その響きは聴衆の耳へ外から入ってくるのではなく、聞く者の内がわの奥から轟いて出てくる。
 日本の音、もしくは広く芸能と言っていいかもしれないが、外に広がりアッピールしていく感じはあまり持たないのではないか。禅の影響なのか、内向していく性格を感じる。たとえば梵鐘の音と教会の鐘ではその性格は全く違う。明るく遠くまできらびやかに聞こえていく音と、あくまで内に深く響く哲学的な音の違いがある。英哲が指導したというオーストラリアのプロの和太鼓グループがゲストで出演したとき、派手でうまいのだが、和の祈りはまるで感じられなかった。
 そうした感覚でみると、金山太鼓も明らかに和なのだ。響きは外からではなく内から来るし、祈りを確かに感じる。ところがこの和と洋の分類を超えて、両者が出会い、何かが生み出されようとしている動きが金山太鼓にある。それが、ロックフェスで度肝をぬいた、和太鼓とドラムスのコラボだ。私流に言えばいわば、主張と祈りが共演しようと言うのだから訳がわからなくなる。しかしそこを取り組んでいるのがすごい。
 現実に我々は、主張と祈りが共存しなければならないような難しい時代を生きることを要請されている。介護の現場においても、ケアマネージャー、ケアプラン、ケースカンファレンスなどと、外来語だらけだが、だからいって日本人が和を全く失うと悲惨な事になる。瀕死状態の和をどう生き返らせ活かすのかが現場の大きな課題で、それに取り組むことで、介護や医療の現場の、サービスの質や品位を獲得していくことになるだろう。
 室内でドラムと和太鼓のコラボを聞くと、明らかにドラムにやられる。なんと言ってもシンバルのバッシャンーは派手だ。和太鼓も内に籠もってられなくて、祈りどころではなくなる。和太鼓が外へ向かって主張しはじめるとかなり辛い。
 屋外では、シンバルの音が飛んで、良い感じでコラボれると感じた。ドラムスが外へ外へ強く主張しても、和太鼓は静かに弩級の低音で祈り続けることができると感じた。
 西洋と東洋、一神教と多神教、全く異なった文化や考えが激しく出会い変容を求められる時代。個人としては相当な圧力に耐え、要請に応える必要が生じるが、果敢に挑んでいる金山太鼓の若人に触発されながら、我々も主張と祈りの両極をどう取り入れ、どう生きるかという瀬戸際を戦って行くしかないと思った。アートシーンとしての里の音楽祭、さすがに芸術は奥深かったと言うべきか。 続く
 

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