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「もち米の手刈り」と「はせがけ」【2008.10】

ワークステージ 高橋 健
 

 9月の末日に、多数の銀河の里人が、秋晴れに、煌々と輝く黄金色のもち米の田に一斉に集結し、恒例の稲刈りをした。何しろ、デイサービス、グループホーム、ワークステージの各所からほとんどの人が参加する。スタッフも合わせると総勢50人を超えようかという人数が山の中の棚田に集まるのだから、それだけで壮観な景色だ。
 ワークステージの利用者やスタッフにとっては春からの努力の結晶であるが、高齢者にとっては、人生の結晶のような場面と時間が繰り広げられるので、その小さな田んぼには語り尽くせぬ程の無数の物語が蠢き、実ったもち米の稲穂に増して深い味わいをもたらされる。
 普段はそれぞれが異なる時間、異なる物語を生きているが、この日、この場で「稲刈り」というひとつの現在のうちに繋留され、その「共通の現在」のなかで、それぞれの物語が交錯し、共鳴が起こり、触れ合う刹那の「ざわめき」「揺らぎ」「響き」が奏でる協奏曲が響くという現場の迫力に身も心も震撼させられる思いだった。

 



 今年の新入職員や若手スタッフの打ち合わせで、餅米の稲刈りははせがけをすることにした。はせ棒、はせ足を集め、はせの組み方はワークのスタッフ、米澤里美さんのおじいさんに教えてもらった。最初、80歳に近い米沢じいちゃんの作業を支えなければならないと僕は思っていたのだが、はせがけが完成する頃には、僕はおじいさんの「身体の頭の良さ」に、すっかり舌を巻いていた。はせ棒を地面に突き刺す時、手をさしのべようと頭では思ったのだが、全くお呼びでなく、腰ががっちり決まった姿勢で振りおろされた棒は、その体のぐらつきのなさに習うように大地に「ズドォーン」と突き刺さった。その体の決まり具合に僕は呆気にとられ息をのんだ。伸ばしかけた手を、そっと引っ込めながら、邪魔こそしないようにいようと思った。
 僕も真似して、棒を振り下ろしてみるが、腰がヘナヘナで、突き刺さらないばかりか、やり直すと、同じところにさえ打ち込めないグラグラぶりで決まらない。
 2本のはせ棒の位置を決めるとき、おじいさんは肘で長さを測った。ロープの長さも、腕を使って測る。おじいさんは、どんな作業をする時も基点としていたのは、自ずの身体であった。細部にいたるまで洗練された身のこなしは「型」がしっかりと決まっていた。おそらく、おじいさんのたたずまいが一本芯が通っているような印象を受けるのも、そのせいだろう。昔の人は「型」を重視して、その「型」が人々の倫理性を担保していたのだという話しを聞いたことはあったが、それを現実に目撃したような気がした。

 



 現代は身体性が甚だ脱色され、華やかに装飾された記号としての身体像ばかりが氾濫している。そんななかで「身体への渇き」を覚える若者がほとんどと言っていいだろう。
 僕も、じいさんになったとき、「そこの若けぇの、体の使い方がなっちゃいねぇな」と言えるようになりたいものだが・・・。うーん、このままでは先行き不透明である・・・トホホ・・・。ともあれ、今年は物語がぎっしりつまった餅を、食べてがんばろうと思う。

 

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