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この夏の読書と思索【2008.10】

宮澤 京子
 

 この夏は、私の人生にとって初めて戦争の歴史(「日清戦争」「日露戦争」「太平洋戦争」)にふれ、真剣に「戦争と平和」を考えた。きっかけは司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだことにはじまった。彼が書き残さざるをえなかったと言われる「ノモンハン事件」を、半藤一利がその遺志を継ぐべく書いた作品『ノモンハンの夏』。真夏のまぶしい日差しの中で、日本思想史の子安宣邦の『「近代の超克」とは何か』に至ると、「ぬくぬくと快楽をむさぼっているお前の思想のルーツはどこにあるか」と、問われるような幻覚におそわれた。日本人として今を生きる、私の思想や信条が、これらの戦争史の上にあるのだという実感により、平和で我が儘に暮らす私の日常を揺るがしてくるのだ。


 時期を同じくして、NHKでは今年の終戦記念にあわせて、戦後63年を経た戦争体験者の高齢化が、戦争そのものを風化させるのではないかとの危機感から、広島・長崎の被爆者や東南アジアの戦地から生還した兵士達、BC級戦犯として服役した人達の証言を集めたドキュメンタリー番組が数本作成放送された。
 語られる証言は63年もの長い沈黙の年月を経ながら、その内容は、沈黙の時間の長さとは対照的に、まるで昨日のことのようにリアルで、戦争の残酷さ悲惨さを伝え、今でも深い傷跡となって各々の人生に刻印されている事実に揺り動かされた。
 「民主主義」「平和主義」が自明のことであるかのように錯覚しているが、それは敗戦によって占領国アメリカから授かった思想であったこを忘れている。その上、日本がアジア諸国を侵略してきた過去の歴史を、自身が平気で消去できる人間であることへの羞恥と怒りを覚えずにはおられなかった。
 「皇国日本」の旗の下で「天皇陛下万歳」を唱和させられ、隣組単位で思想統制がはかられ、体制批判をすれば「非国民」として投獄される恐怖国家があり、敵や侵略した国に対して「鬼畜米英」「露スケ」「朝コロ」といった誹謗や根拠のない中傷がまかり通る。敗戦間近には、軍事資材調達のため、個人の貴金属や台所の鍋釜、公園の銅像まで供出し、「竹槍」の訓練・「風船爆弾」の製造、兵隊不足で「学徒出陣」や障害者・中高年者の徴兵が進められ、ついには「国民総玉砕」と本土決戦まで覚悟するに至る。
 間違っているはずだが、昭和16年12月の米英に対する宣戦布告に対して、国民の多くが感激し落涙したのはどういうことなのか。今だから無謀と言い切れる作戦も、その時代に私が生きていたら、きっと涙を流して「万歳」と叫び、訳のわからない大きな流れに飲み込まれ死んでいったに違いない。
 誰の指揮命令で、国民の命を駒として戦地に送ったのか。考えなければならないのは、参謀本部にも、大本営にも、天皇にも、内閣にもどこにもその責任を問えない体制で行われた歴史があることだ。
 20世紀初頭においては、持てる国が、持たざる国を植民地化することによって領土の拡大をはかる帝国主義の時代にあって、資源の乏しい小国日本は、「東亜協同体」というアジアを植民地化する以外に大国に立ち向かうことはできなかっただろう。
 戦争を終結させたアメリカの原爆投下は何を意味するのか。結局は核の脅威に生きる事を余儀なくされた時代がきたということだ。
 私は、世界の歴史の中でも希と言われる戦争のない平和な時期に生まれて生き、おそらく戦争を経験することなく死ぬであろう。がしかし、これはアメリカの核の傘に入っている事で保障されている安全にすぎないことも事実である。


 敗戦から奇跡的な復興を遂げ、「高度経済成長」を経て物質的な豊かさを謳歌し、「飢え」という言葉は、今の日本の子ども達には死語だ。しかし本当の「豊かさ」から返って遠ざかる生のリアリティの希薄化は増すばかりだ。「飢餓」「貧困」「強制」「戦争」に対する強い嫌悪と同時に、「飽食」「豊かさ」「自由」「平和」の薄っぺらさにも腹立たしさを感じる。


 たかが63年前、お国のため、銃後の人々のため、子孫のためにと突撃や、特攻に散った若い命。作戦の破綻から孤立無援の島やジャングルで無念の戦死をとげた多数の人々のたましいと、今を生きる我々はどう繋がっているのだろう。なんら繋がりがないというのでは彼らは報われまい。子供じみた風潮が渋谷や新宿の雑踏やメデイアを支配し、ギャル王国と化してしまいそうな現代日本社会が、彼らのたましいに何をたむけることができるのか。
 近代の日本の歴史とその過程を見据えたうえで、今後の未来を描いていく必要がある。日本人として何が大切でなにが大事なことなのか、失ってはならないものは何なのか、今こそ考える必要があるだろう。そしてそれは最後のチャンスで、ここで踏み外す訳にはいかない時を迎えているはずだ。しかも現状は暗く重い。しかしこの深い闇の中こそ新たなる夢と希望があると確信を持って若者たちに伝えたい。人間の尊厳と、生命の重さは、これまで語られてはきたが、人類が真にそれを実感する挑戦は今から始まるところではないか。現場にある我々はその取り組みの重要な使命を担っていると私は信じる。つづく
 

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