佐比内金山太鼓が、11月2日、「銀河の里」の音楽祭にやってくる!
私がはじめて佐比内金山太鼓を見たのは、一年前の春だったか、夏だったか・・・盛岡のバンドの企画ライブだった。太鼓のフェスか何かで出会っていたら、もしかしたら印象は違っていたのかもしれない。でも、あのロックバンドのライブイベントの中で出会ったという衝撃はただものではなかった。
若者の音楽。表現という域にはまだ到底達し得ない。でもただ溢れる感情やエネルギーが、そのまま雑音のように発散されている。アグレッシブで、エネルギッシュだが、“若さ”はぬぐい去れない。不安や憤りの、もがきのようにも感じられる。同じように自分をもてあましている様な若者が(私もそのうちの一人)フロアを埋め尽くしている。だが、太鼓の音と共に、うだうだと、気だるく澱んだ若い人たちの空気に、緊張が走って、観客みんながステージに引き込まれていた。はじめは、太鼓かよ?という感じでいた人たちも、トリを飾ったあのドラムと太鼓の協奏に、すっかり魅了され、息をのんで立ちすくんでいた。ドラムと太鼓のさしの勝負のような構成でありながら、太鼓になじみの薄い若い人たちに、ドラムというものを介して、でも圧倒的に太鼓を伝えてきていた。
ドラムだけではきっと華々しいだけで散らばってしまう音も、太鼓の重低音にしっかりと支えられて包まれている、地に足がついている、そんな感じだった。太鼓のあのじわじわと地から満ちてくる音、くぐもったような温みのある音は世代を隔てることなく響くものがあるように思う。
もともと「ライブ」では、音が、そのままダイレクトに体に伝わってくる。耳で聞くというよりも、体にあびるといった感じ。音って振動なんだ!とびっくりするほどに。しかもその音は、演奏している人のエネルギーそのもの。音色の向こうにしっかりと人が感じられる。
今は、CDやデジタルの音楽が日常に溢れて、そういったものとは切り離して音のみを簡単に持ち運んでいるが、それらの音は実は薄っぺらいのではないか。ライブであるということ、その場に居合わせている、臨場感、迫力、音を介して人や時間が出会っている、あの感じ。場の一体感・・・。きっと、これが音楽の持つ本来の持ち味なんじゃないのだろうか。
11月の音楽祭では、この佐比内金山太鼓だけでなく、吹奏楽、ジャズも企画されている。どんな出会いになるのか、とても楽しみだ。
|