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残したい気持ち 【2008.09】

グループホーム第2 漆山 悠希
 

 サチさん(仮名)は、認知症のために、あったことを長く覚えていられない。食べることが大好きで、自分の分だけではなく、置いてあるものにはなんでも手を出してしまう。ときに他の人の分までサッととってしまうこともあるのだが、サチさんにとってそうなればそれはサチさんのものであって、「とってねぇよ」「知らね」になってしまうのだ 。


 覚えてないので、とったことも、食べたことも、“ない”ことになってしまう。だから、他の人のをとって食べるのはやめてほしいということをいくら伝えようとしても、サチさんは「人の悪口すんな!」になってしまい、最後には「バス来るんだべ?」と全然違う話をもってきて、その場は“終わり”になってしまう。いつもそのパターンで、責めたってしょうがない、病気なんだから…と私は諦めるほかなかった。


 ある日のおやつの時間、サチさんはいつものように一番におやつを食べ終えて座っていた。周りにはゆっくり食べる人や、遅れてくる人がいて、サチさんは気になってしょうがなかったんだと思う。気がつくと向かいの宮子さんがお茶を飲んでいるすきに、宮子さんのお菓子をサッととってしまっていた。私は思わず「それは宮子さんのでしょ、返して」と詰め寄った。宮子さんは何も言わなず、何事もなかったように、穏やかに座っている。サチさんは「とらねぇよ!こいずはもらったのだ!」と言って、クッキーをバクバクと口に入れる。手にはまだ飴を持っていて、「これはおれのだ!」と必死だ。「ちがう、それはとった飴なんだから返して!」と言う私に「なんたらそったな悪口して!おめのことはたいてけるぞ!!」と手を上げる。


 私がその手を押さえてしまうと、「いでぇ、いでぇー」と泣き真似をするが、私はその手を離さなかった。ついにその場は修羅場と化した。「なにすんだ!はたくぞ!ひねってやる!」と言うサチさんに、「いいよ、はだけ!やれ!」と私。サチさんの手を握った私の手を、サチさんはこれでもかと言わんばかりに何度もつねった。「やれ!なんぼでもやれ!」私はどうしたってサチさんの手を離したくなかったのだと思う。離してしまえば、きっとまたそこで“終わり”になってしまうのが嫌だった。とられた宮子さんのことも、こうまでして「返して」と言い張った私の気持ちも、責められて必死になったサチさん自身の気持ちも、サチさんの心には残らない。なによりそれが悔しかった。病気だとしても悔しかった。


 つねってもつねってもびくともしない私に、「この手ひねってやる!」と今度は私の手首を掴んでひねるサチさん。それでも音をあげないとわかると、「わがね」と一言言うと、小鬼のようなサチさんの表情が緩んだ。その顔を見て、“おわり”だとわかった。私も「終わりだな」と微笑み返す。サチさんは「その飴、返してちょうだい」と差し出した私の手に、握り締めていた飴を自分で渡してくれた。


 どこかで少しサチさんと繋がることができたようで、ああ、諦めなくてよかったと、思ったのだった。
 

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